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演劇部に入ったきっかけは音響の機材を操作できることだったが、劇団の旗揚げメンバーになったきっかけは、第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」という芝居のビデオを見せてもらったのがきっかけだった。

それが91年の頃。

95年に札幌で初めての公演を見てきた。

ーあんな芝居をしてみたいー

そう感じたもんです。

台本もスタッフも役者も全力を尽くして、特に役者はスーツを着ながらにして背中まで汗だくで台詞を振り絞って発してる。

理屈抜きで芝居というのはこういうことなんだろうと感じた。

大衆演劇もいいし、静かな芝居もいいし、ミュージカルもなかなか捨てたもんじゃない。
でも、役者がその役をやりきるのにあれだけの運動量を必要とする様に感心した。
勢いだけでも突っ走れるような…
もちろん、そんな簡単なレベルのではないのだけど。

ー 多分、若かったからそういう芝居の方が性に合ってただけなのかもしれないが ー

その憧れや目標としていた第三舞台の芝居がとうとう釧路に来た。

いきさつはどうであれ、釧路に来たことには変わりはない。
純粋に素晴らしいことだ。

で…本番。

…慣れてしまったのか…目が肥えてしまったのか…

話もいいし、役者ももちろんいいんだけどね。

「あぁ、そうそう、第三舞台だわ」

鴻上さんは大体の役者さんにああいう台詞の回し方にするのだろうか?
多分台本がそういう口調になってくような台詞の量なんだろうな…

いかにも!

というしかない。

斉藤慶太君は声質がもったいない。
ややハスキーなんだね。
口の周りでぼやけちゃう感じ。
牧瀬さんは以外にも声量がないんだ。
でもかわいいです。いや、ほんと。
渡部さんと大和田さんと安田さんはいい声してるよね。
それだけで聞き惚れてしまう。

やっぱ中央で活躍してる劇団ですよね。

セットや照明もあか抜けてる。(←やば、素人臭い言い方だった)
というより非常に効果的な使い方をしてる。
無駄な仕込みがないのです。
状況説明や空間設定を限りなく必要最小限なもの、~それは照明であったり、上から降りてくる蛍光灯やシャンデリアなどの小道具だったり~そういったものできちんと世界を隔ててる。
当たり前といえば当たり前の手法なんですが、そこのさじ加減が絶妙なんですね。
例えば小道具。
舞台中央にある2階の部屋へと繋がる設定のスチールの階段(これは大道具ですが←いきなり違うじゃん)とそれとリンクするかのように、ソファーの近くに置かれたテーブルと、食卓の設定の大きなテーブル。
それらもスチールで作られていて実際にはあまりあり得ないもの。
まあ、あればそれはそれでインテリアとしてはいいかも。
しかし、それは劇中で斉藤慶太君とかが、ぴょんぴょん乗り移るので、それぐらい頑丈にしておかないと使えないもの。
そこに普通の木製のテーブルだったら…そりゃ駄目だろうな。

な~るほどね。考えてるわ~

でも、そういう動きがあるから丈夫にしたのか、デザイン上そういう丈夫なものを作ったから、そういう動きになったのかは…まあ、考えりゃあわかるけど。

「素晴らしい芝居」には違いがない。

01年に第三舞台は10年間の封印となったけど、開封まであと4年。
4年後には第三舞台での公演もきてほしいですね。
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劇団零さんの打ち上げにお呼ばれしてきました。
家に着いたのは朝の4時…
ね、眠い…

なんだか、こんな機会にのこのこと顔を出すのもどうかと思いながらも、こんな機会だからこそ話したい事も飲みたい事もあるもので…

その前に…

終演めがけて会場に到着。
自分の機材も回収しないとね。

会場はすでにばらしの真っ最中。
な、なんだこの人だかりは…というほどの人がバラしてる…
あのこじんまりとした会場に約30人弱の人…
こりゃああっという間に終わるな…

……………
…………
………
……


…な、なんで終わらない。
もう僕が来て1時間過ぎるぞ。
先導もいなけりゃ、漕ぎ手もいない。
そんな状態。

まあ、僕がハッパかける話じゃないので傍観…というか、暇してる人と話す事にした。
って、そういう人がいる事自体おかしい気がしないでもないが…

ようやく会場を出る事に。
20:40…
だから、あの仕込みのバラシで何分かかってるんだろう。

打ち上げ会場は「笑笑」(わらわら)
初めてきました。

実は会場に来る前に、すでに夕食はとってきてたので、お酒以外はお腹に入りません…ウプッ。

始めはビールを飲んでたのですが、さすがにビールも入らなくなってきました。
そこで見つけた今日の一品!
「グレープフルーツ・キウィ・サワー」
略して「グレキ? キグレ?」サーカスか?
思わずライティングして撮ってみました

kiwigrape





これがまたおいしい!!
キウィサワーにさらにグレープフルーツをしぼって、果汁を入れる飲み物。
全然、焼酎の味はしません。
完全にジュース!!
マジ旨かった!!

そして…お芝居のお話…

今日の公演はなかなかよかったとの評判。
修正したのでしょうね。
当然の事ながら、関係者疲れてます。

おつかれさま…

久々にこういう席でいろんな人と話しながらおいしいお酒を飲む事ができました。
初めて照明の操作をする子、初めて仮設で音響の操作を任せられた子、久々に芝居に関わった子…
彼らと話してると、なんだか彼らと同じ感覚で話せる自分が嬉しくなる気がします。

まだ若いんだ…

いやいや、そういう感覚ではなく、「何かを作る」事に対してのモチベーションというのでしょうか。

この仕事を続けてきてはいますが、それでも、どうにかマンネリだけは回避しようとしてきましたので、その方向性は間違ってなかったのかな。

そういう感覚ですね。

例えば芝居とかライブとかダンスとかなどは、やっぱりその都度軽いエキサイト感抱えながら仕事してますね。
それはプロとして当たり前である仕事の他に、さらにその団体、その人たちが抱く以上の効果を見いだす事。
ポテンシャルの底上げというのかな。
そこまでできた時には何とも言えない達成感を僕も味わう事ができる気がするのです。

まだまだ彼らは走り始めたばかりです。
これから色々と知らなくてはいけないこと、身につけなくてはいけないことを覚えなければいけません。

「もともと突っ張っていこうと決めたのなら、とことん突っ張んな!」

そう、代表には言いました。

新人劇団だからといって、未熟だからといって、周りに気負う部分なんか何もないよ。
そのかわり、そんなことも言われないぐらい精力的に芝居を通して活動しなくちゃ。って。
まだ劇団員もいないけどいいじゃない。
始めからよーいドンって始められればそれは結構なことだけど、そうじゃないスタートでもいいのですよ。
彼らの劇団なんですからね。

がんばれ!
劇団零。
劇団零の旗揚げ公演「思い出のグリーングラス」に行ってきました。

会場はウラリ。
市内浦見町にある病院、「ふくしま医院」がその別の名前。
というか正式な名前。

そう、普段は病院なのですが、夜間や休日には音楽や芝居の団体にとって格好の発表の施設と変貌するのです。
照明設備も若干ではありますが、必要最小限に整ってますし、音響もアンプとスピーカーが(CDプレーヤーもありますが)あるので、あとは再生機器をミキサーなんぞで出してあげれば、すぐに音も出せる。
しかも貸し館料とかはありません。つまり無料です。
ふくしま先生のご厚意にはただただ頭が下がるばかりです。
使用する団体が重なれば、そことの話し合いで調整すればいい話。
至れり尽くせりの施設。

僕も芝居をやってた頃は何度か公演でも練習でも使わせていただいた会場。
ある意味懐かしさを感じますね。

パンフには僕のユニットの名前が。
今回はweb制作と若干の録音、音響の機材貸し、あとはアドバイス程度での参加…ではないですね、協力をさせていただきました。

あくまでこの劇団の人ではありませんので、あまり突っ込んだ事はしないように…

今日は19時からの開演。
テレビでは日本代表がスコットランド戦を始めようとしている。
…それも見たかったな…

受付は通常の出入り口を使っているのですが、自動ドアの電源を切ってほぼ開けっ放しの状態。
受付の人、寒そう…

会場に入ると既に30名程が座ってました。
ほぼ満員。
見慣れた顔も何人かおりまして、それもまた懐かしい。

おそらく50名も座れないでしょ。
僕は入り口に近い壁際にもたれるようにおっちゃんこ。

開演

暗転になったのだが非常灯を隠してないので、そのハレーションが気になる。
役者が出てくるのもわかるし、暗転処理の時の役者の演技が切れるところもわかるので、もったいない。

話はこんな話。

「最終刑務所」と呼ばれる離れ小島にある施設がその舞台。
ある日、新人の看守「安西」と、死刑囚「666」が時同じくしてこの施設に入ってくる。
安西の先輩に当たる「野村」、施設の所長が主な登場人物。
その他に安西の彼女「しずか」
「666」の死刑執行までの期間、安西は666と接するうちに、自分の歩むべき道を見いだしていき、野村は限りない犯罪者全ての憎悪で自分を破壊し、野村の叔父に当たる所長は、過去との自分、野村とのすれ違いの苦悩を抱く。

オチは置いておきますが、そんなあらすじ。

脚本についてだけど、悪い話ではないですね。
ないのですが、効果的な書き方がなされてない。そんな印象を受けました。
タイトルにもなってる「グリーングラス」
劇中1度しか使われてなかったのがもったいないというか、意味が感じられない。
始めはいつも聴く曲、ぐらいの見せ方から、色々と問題を抱えて行くうちに、どんどん追いつめる曲に聞こえたり、さらに心の解放をさせる曲に聞こえたりとか…
そんな使い方があってもよかった気がします。

初めての脚本ということで、僕はそれだけで彼を尊敬するのですが、もっと刑務所の事、看守の事、常識、セオリー、用語、仕草…
等をリサーチした方がよかった気がしましたね。

新人の安西、気が弱い、小心者、彼はそういう役を作ってきたと話してたのですが、それはそれでかまわないです。
実際、そういうキャラクターになってました。
しかし、どんなに気が弱くても看守としてやってきたのです。
ですから、行動自体は凛とした態度をしながらも、自分が持つ気持ちの小ささとかを表現しないと、この施設にきた人事理由がわかりません。

この芝居のメインでもあるのですから、もったいない気がしましたねぇ~

死刑囚666は安定したテンションを作り上げてたので、安心してみれます。
犯罪者に見えました。
ある意味、彼がいないとこの芝居、成立しませんでしたね。

野村は高校生ながらなかなかの好演。
声も通るし、動きも自然。
ま、自分が壊れるところは難しいでしょうね。
これから期待の役者じゃないでしょうか。
ちなみに、彼が唯一の劇団候補生との事。
ただ、無理してああいう話しかたというのか、作らなくてもいい気がするのは僕だけでしょうか?

しずか役の子、声が通るのでもうそれだけでいいのでは。
安西と電話の場面が何度もあるのですが、その度に衣装が変わってます。
地味に忙しそうです。

所長役の代表井上君。
彼の演技は初めて見ました。
自分で脚本書いて演出して出演するというのは、よっぽどでなきゃできない事です。
この役作りも、演出もそこにつきる結果だったのではないでしょうかね。

どうしても気になる箇所があったのですよ。
アンケートにも書いてきたのですが。

叫ぶのと叫ぶ演技とは違います。
怒鳴るのと怒鳴る演技は違います。
小声で話すのと小声で話す演技は違います。

今回の芝居、彼らはことごとく違う方の演技で表現してました。
ですから、何を言ってるのかが聞き取れないのです。
叫んだり、怒鳴ったり、ぶつぶつ話す場面がけっこう多かったのですが、そこの場面はわずか2mも離れていないというのに、台詞が聞こえないのです。
それがものすごい残念というか、…駄目でしたね。

どんなにリアルさを追求しようが、迫真さを表現しようが、やっぱり「演劇」なのですから芝居としてみせなくちゃ。聞かせなくちゃ。

乱闘シーンもそう。
何度かあったのですが、あれは演技ではありません。
見ていて痛いだけです。
まあ、実際殴る場面はないのですが、つかみ合いやもみ合い。
もっと動きを整理して、スムーズに流さないと力任せの演技と言うか、普通につかみ合ってるだけなんですよ。
あれはもったいない。
666が絡む場面は逆に「さすが」と言わざるを得ない。
普段からアクションのチーム(?ではないけど練習してるようです)で活動してるだけあって、コンパクトにしかもダイナミックに見える。
きちんと「アクションシーン」として成立してるのですよ。

旗揚げ公演というのは、よくも悪くも「崖っぷち」状態。

これからの自信と集客への影響が大きく作用するのです。
もちろん彼らにも「成功」してほしいのは当然あります。
しかし、僕は基本的に「見守る事」がこれからの彼らに必要だと思うので、何かを聞かれない限り、何かの意見を求められない限り、僕からはなるべく口を挟まない事にしてます。

結果的に成功か失敗かどちらかで言って、失敗の方だったとしてもそれはそれなりに彼らの糧になるのではないでしょうか。失敗から得られるものの方が成功から得られるものよりも遥かに大きいですからね。
もちろん成功ならば彼らの更なる自信に繋がるわけで。
今回の方法論は正しかった、受け入れられた。
そういう事なのですからね。


明日、2本番。
今日のいいとこ、悪いところをどれだけ修正して更なる芝居を見せてくれるのでしょうか。
まあ、明日は見れませんががんばってほしいものです。
明後日から劇団零さんの公演が始まる。
先ほど、照明と音響のお手伝いに行ってきました。

手伝いといっても体は動かしてません。

口ばっかり…

プランについてもほとんどアドバイスらしい事もしなかったなぁ…

一応、彼らの公演ですから外野が口を出す必要はないと思いますし、あまり口を出してもよくないですからね。

聞きたい事があれば聞いてくるでしょう。
ま、そんなに放置もしてませんが…
彼らのやりたい意図を聞いて、それに対してのアドバイスはしようと思います。

例えば明かりの当て方。
例えば地明かりとして舞台をそめる時の目安。
例えばスピーカーを置く場所の意味。

ただ漠然に
「ここは階段が当たっていればいいんで…」

階段に?どんな風に?

「これは暗転用なので、何となく当たっていればいいです。」

何となく?何となくでもどこを中心にするかぐらいは決めないと…

「スピーカーはここに置いて…」

ここでいいの?上の部屋から声が出る素材があるよね?
どうするつもり?



もっと積極的に、もっとどん欲に、もっと正確に、場面の持つイメージや意味を考えて的確なビジョンを持ってなきゃ、駄目ですよぉ。

ただ明かりが当たっていればいい。
ただ音がなりさえすればいい。

そんな中途半端な事じゃ芝居をする意味がない。
公演をする意味がない。
お客からお金を頂く責任がない。

そう、思うのですが…

役者をやりたい人もいれば、スタッフをしたい人もいる。
でも、大前提で「公演」というものを通して、お金を頂いて、見てもらうのだから一つの台本に対しての表現上の可能性と言うか、情熱をみせなきゃ。

ですよ。

初演、見にいきますからねっ!!

>>>>>>>>

家に帰ると「プロフェッショナル~仕事の流儀~」を見ました。
今回は日産のテストドライバー加藤博義さん。
彼の言葉はこう言ってました。

「嘘をつく必要はない。できる事はできると言えばいい。でも、できないというのは、プロがやすやすと言う事じゃない。なんかやってくれるかも知れない。どうにかしてくれるのかも知れない。そう思わせてくれるのがプロでしょ」(サイトから抜粋)

この言葉は、当然僕の業界にもぴったり当てはまるわけでして…
おそらく、どの業界の人たちにも当てはまりますよね。

日本の名工にまでなった人が言う言葉は、いつも僕らも思ってる事を、しっかりと言葉で伝えてくれるところにあるような気がします。

この番組を見るたびに、様々な職人やプロフェッショナルが出るわけですが、その度に、彼らの言葉というのが胸に刺さります。

僕はまだこの仕事を初めて14年しか経ってません。
まだまだ駆け出しと思ってます。
でも、14年にはそれなりの意味があった事は確かです。
駆け出しとは言え、それよりも経験のない人たちにはアドバイスなり、方法を教える責任も出てくるキャリアです。
だからこそ、毎週見るこの番組のプロフェッショナルの言葉は、最近の励みになってる気がします。

僕もいつかはそう思われたいですね。
言われなくてもいいのです。
自分でいきがる必要もないのです。
実力や人格というのは、周りが決める事ですしね。

がんばるぞぉ!
一昨日、市内で活動している劇団の公演を見てきました。

久々にチケットを購入しての観劇。
いつもなら音響室から見ることが出来るので、なにも購入してまで芝居とか演奏会を見にいこうという欲求がありません。
ですが、今回は以前に劇団に所属してる頃からのおつきあいある劇団。
しかも演出に友人のM田が。
ならばいかないわけなかろうに。

会場は倉庫を改造して造られた多目的スペース「浪花町十六番倉庫」
普段は何もないアスファルト(?)の床と軽い防音設備を施した空間。
会場に入ると顔見知りの面々が迎えてくれる。
もう芝居に関わらなくなってから数ヶ月経つが、いまだにこういう雰囲気に居心地の良さを感じる。
受付と舞台は黒い幕で仕切られている。
幕をめくって中に入ると客席が作られていた。
段差もあるので、前の席の人の頭は気にならない。
僕は最後列に座ってみる。

すかさず僕を見つけM田が話しかけにきた。
「初日だから…」
まあ言いたいことはわかる。
初演の初日というのは、色々と何がおこるのかわからないものだしね。

芝居は約2時間。
場所は南国の島。あるリゾート開発会社の社長宅。ベランダからは海が見える。
一場、4人(正確には5人なのだが一人二役)の女にある事件が起こる。
二場、それから8年後、彼女らは再び出会い、また事件が起こる。
三場、またまた8年後。舞台となった島は地盤沈下がおき、その家もいずれ沈むといった末期的状況の中、再び4人は偶然にも再会する。

セットの作り込みはなかなかのもの。
壁とベランダとの立て込みがしっかりしてるせいか、ちゃちな感じは一切なのに感心した。
ベランダというのは、このセットのキーポイント。
そこで外を眺め、人が落とされ、上ってきて、ものを落とし、海に飛び込む。
なかなか効果的に使われる。

役者の4人はなかなかよかった。
それぞれがキャラを作り込んでるのがよくわかる。
まあ、それぐらい独特というか癖のあるキャラだから、あそこまでしなくては個性が見えてこないのだろう。
…でも、正直そこまでしか到達してないようにも思える。
キャラの個性というのは、大げさな話し方やリアクションとかで決まるものではない。
いままでどういうことがあって、今この場所にいるか。
それがあってようやくその人物が見えてくる。
話し方やリアクションで求めるものは、「つかみ」でしかないと思う。
なのに、そこまで達してないのに…時間がなかったのかはわからないけど…会話だけが先行しちゃってるから、きちんとした会話になってないのが一番気になる。
目の前にいる人と話してるのはわかるけど、その台詞って誰に言ってるのさ。
と突っ込みを入れたくなる。だって、そのいわれた相手も台詞で返してるのは当然だけど、その人にきちんと返してないふうに聞こえるんだもの。

それはものすごくもったいないように感じる。
もっと会話が会話として成り立っていたなら、今回の芝居はこの劇団にとって記念に残るものなったに違いない。…とまで感じる。

でも、まあ、一番気になったのはセットの変化がないところだね。
1場から3場まで、普通に考えると16年経ってるのですよ。
なのに小道具一つも変化なし。
1場で使ったワインとワインバケツ。
3場でまだそのまま。
おいおい16年ものか?飲みかけで?と突っ込みを入れたくなる。
まして、3場なんて地盤沈下が進んでそこの家も下の階は水没。
舞台となる階も水没まで時間の問題とか言ってるのに…
それでもかたくなにセットは微動だにしてない。
おいおい、ひび割れてるとか、家具もほとんどないとか…あるだろう…やりようがぁ…危機感がないよぉ…

公演が終わった後M田がきた。
セットのことを話すと「人がいなくてさ…」
そういわれると、まあそれが原因としか考えられない。
でもさ、でもさ、
それって一番の問題なんじゃないかと思うんだけど。
音響がどうの、照明がどうのということより、この芝居の場合、セットと役者が時間の経過を表さなかったら、どこで表すのさ。
大道具・小道具チームの腕の見せ所でしょ。

ものすごくそれが残念で仕方がなかったよ。

残念と言えばパンフも残念だ。
フライヤーは2色刷りかな。
けっこうかっこいい、びしっときまったフライヤーだったのに、パンフは両面白黒コピーのいかにも「予算が…」「時間が…」とか聞こえてきそうな…
他のイベントフライヤーよりも目立たないってどうよ?
制作の人、もっと考えようや。

一つの公演ってトータルデザインでありトータルバランスって僕は思うのよ。

チケット、フライヤー、パンフから始まり、舞台美術とそれに合わせた照明。
それにそった衣装と、その状況に合わせた音響。
そして、その芝居に生きる役者。
どこも手を抜いたり、妥協しちゃ本当はいけない気がする。
どこかがおざなりですませると、公演が終わった後にきっと後悔すると思う。
だからみんないろいろ考えて、衝突しながら作り上げていくんでしょ。

その姿勢はプロだって同じはず。

そんなところでプロとアマの違いなんてないはずなんだけど、確実に差が出るのはそこの作り込み方の違いが出てくるんだろうね。

それでも次回作も見にいきたくなりました。

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